救いの御子は まぶねの中に
ねむりたもう いとやすく
讃美歌「きよしこの夜」といえば、クリスマスが近づけばあちこちから流れ、多くの人が耳にして歌うこともできる有名な讃美歌です。この曲が誕生したきっかけは、オーストリアのオーベルドルフという村で一八一八年のクリスマス間近に起こったある出来事でした。
ある日の午後、教会のオルガン奏者であったグルーバーは、大事なクリスマス礼拝のため、奏楽の練習をしておこうと教会に出かけ、オルガンのペダルを踏みました。しかしどうしたことか、オルガンからはさっぱり音が出ません。調べてみると、空気ぶくろに穴が開いていたのです。原因は、ねずみがかじったからだとわかりました。すぐに修理などとてもできません。大切なクリスマスの礼拝を前に、大変なことになったのです。
そこへ、ヨセフ・モーア牧師がやってきました。奏楽者であり、教会学校の校長でもあったグルーバーからこの事態を聞いたモーア牧師は、しばらく思案したあとで次にように言いました。
「グルーバー先生。オルガンがだめなら、ギターがあります。これは私がつくった詩ですが、先生、ギターで歌えるように、曲をつけてください。」
その詩は、前日、モーア牧師が、赤ちやんの生まれた山小屋の家族を見舞ったあと、雪あかりの中を下山したとき、あまりの静けさと、滑らかな美しさに深く感動して書かれたものでした。詩を読んでいくうちに、グルーバーの心に、熱いものがこみあげてきました。そして一気にできあがったのが、讃美歌の名曲「きよしこの夜」でした。
クリスマス礼拝の当日、凍りついた雪を踏みしめ、教会に集った村の人たちは、生まれてはじめて、オルガンなしの礼拝を経験しました。ところが、ギターとともに聖歌隊が歌うこの賛美歌の、シンプルな美しさに深く感動したのです。
やがてオルガンの修理のためにやって来た調律師によって、周辺の町や村にこの楽譜は持ち運ばれ、ジレルタルの谷間に流れた「きよしこの夜」の歌は、歌いつがれて、世界中の人々に歌われる有名な讃美歌となったのです。
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