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 ユダヤ人の
マービン・トケイヤー氏は、ラビとして来日し、日本文化とユダヤ文化の比較研究をし、日本語で数多くの著書を出版しています。トケイヤー氏の著書のひとつ、「ユダヤ格言集」の中には、「老人を大切にせぬ若者には、幸福な老後は待っていない」というテーマで、冒頭に次のような老人の「あるある」的なユダヤ人ジョークを紹介しています。


 人から「お若いですな」といわれたら、老年に入った兆しである。
 つぎに、もっと年をとると、トイレに入ってから、ズボンのチャックを上げるのを忘れるようになる。そして、さらに年を取ると、チャックを下ろすのを忘れるようになる。


 別の著書では、
人間は究極的には、何をするか(What I do)、ということよりも、何であるか(What I am)、ということが重要であるはずだ」と語っています。

 

 生きていく中で、何をするかといことは重要なことですが、ただ若さや活動力だけが評価される社会は不幸な社会です。なぜなら、そのような社会には必ず敗北が待っています。どんなに社会的に活躍した人でも老年を迎え、若い時のようには活躍できなくなる日が必ずやって来るからです。

 老人を見て、「クソじじい」「クソばばあ」と嘲る若者は、年老いて自尊心を持って生きることなどできません。トケイヤー氏は、「老人が大切にされている社会には落ち着きがある」「悲惨な老年を送りたくなかった、老人を敬うことだ」と著書の中で語っています。さすが、根底に旧約聖書の知恵がある「ユダヤ人ラビ」と思わせる言葉です。

 

 何をするか(What I do)というだけの価値観ではなく、何であるか(What I am)」という価値基準を持つことが、年齢を重ねても生きがいを失うことなく生きる秘訣です。

 老年になって、自分に対して周りがどのような評価をしようとも、「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ43章4節)とみなしてくださる創造主を知っているなら、そのお方の前で自分は「何であるか(What I am)ということが大切になってくるのです。

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  今日の聖書 イザヤ書46章3-4節

 

  わたしに聞け、

  ヤコブの家とイスラエルのすべてののこりの者よ。

  胎内にいる時からになわれており、

  生まれるまえから運ばれた者よ。

  あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。

  あなたが白髪になっても、わたしは背負う。

  わたしはそうしてきたのだ。

  なお、わたしは運ぼう。

  わたしは背負って、救い出そう。