パブロ・カザルスと言えば、「無伴奏チェロ組曲」と、すぐにクラッシック音楽ファンに思い起こさせるほど、この曲のすばらしさを世に知らせることになった人物です。
20世紀最高のチェリストと呼ばれ、当時人々から忘れ去られていたバッハの無伴奏チェロ組曲の古い楽譜をバルセロナの古本屋で見つけ、12年間日夜この曲を研究し弾き続けました。それによって、それまでチェロを弾くときの右手はきゅうくつで不自然な姿勢であった演奏法を
左手の指の動く範囲を著しく拡大できる演奏姿勢に改革し、チェロやヴァイオリンの近代的奏法を確率したと言われています。
パブロ・カザルスの自伝「パブロ・カザルス 喜びと悲しみ」(朝日選書439)を読むと、カザルスは音楽家としての活動にとどまらず、反ファッシズムの立場を貫き通した人物であることがわかります。ヒトラーがフランス南部を占領するとカザルスはドイツ軍の捕虜となるのです。そしてカザルスは将来逮捕か処刑すべき人物のリストのトップにあげられていたのです。間もなくヒットラーの前で演奏するようにとの要請を受けるのですが、これを断るのです。
彼がそのような生き方をした背景には母のピラールの影響を受けていたからです。母は弟のエンリケに招集礼状が届いたとき、「エンリケ、お前はだれも殺すことはありません。誰もお前を殺してはならないのです。人は殺したり、殺されたりするために生まれたのではありません。行きなさい。この国から離れなさい。」と語り、弟はアルゼンチンに渡り、11年間も会うことができなくなったのです。
単に自分の子どもが殺されるのを嫌っていたのではありません。スペインにコレラが流行し、カザルスの住んでいた地区だけでも数千人の人が死んだ時、弟のルイスは「誰かがやらなければならない」と言って、コレラで死んだ人の家に行って、死体を夜中に共同墓地に運んで、伝染の危険が非常に大きかったにも関わらず、母は息子を思い止まらせるような言葉は一言も言わなかったのです。
「母にとって最高の掟は個人の良心であった」「母は常に原則に従って行動し、他人の意見に左右されることはなかった。己が正しいと確信することを行ったのである。」とカザルスは記しています。
カザルスの母 ピラール・デフィリョ・デ・カザルス
戦後、パブロ・カザルスは、アルベルト・シュヴァイツァー(Albert Schweitzer)と共に核実験反対運動に名を連ねます。アメリカを訪問したとき、人々が個人用防空壕をつくり学校では原爆の防空演習をしているという新聞記事を読んで彼はぞっとし、1500万人の人々が死んだ戦争を経験したというのに、「これは狂気の沙汰だ。原爆の唯一の防御は平和でしかないではないか。」と語っています。今も聞かなくてはならないパブロ・カザルスの重要なメッセージです。
そういうわけですから。私たちは、平和に役立つこと、お互いに霊的成長に役立つことを追い求めましょう。
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