銀座のど真ん中にある教文館は、アメリカから派遣されたメソジストの宣教師たちが、伝道用の書籍やトラクトを販売したり出版するために東京築地で開催された年会で組織を結成したときに産声をあげています。1885年(明治18年)9月9日のことで、これが教文館誕生の日となりました。ちなみに青山学院も教文館を立ち上げたメソジストの宣教師たちによって創設されています。
その後、書店を東京、長崎、横浜に開きますが、家賃が高くて長くは続かず閉鎖になるのですが、1891年に、東京銀座に書店を開店し、現在に至るまで銀座の老舗書店・出版社として知られ、多くの人々に親しまれて来ました。
そして1906年(明治39年)には、四階建ての瀟洒なビル(下写真)を現在地に建てたのがはじめての自前ビルになり、現在の教文館ビルは1933年(昭和8年)に竣工となっています。当時の写真を見ると九階建ての教文館ビルの周りには、ほとんど高いビルがないので飛び抜けて目立つ建物として銀座四丁目にそびえ立っています。
銀座四丁目交差点と言えば服部時計店や三愛ビルが銀座のシンボルとなっていますが、現在地に教文館が建てられた時の住所は銀座四丁目一番地(現在は五番地)で、三越や松坂屋が銀座進出以前ですから、教文館は銀座のど真ん中に130年以上存在していることになり、銀座の移り変わり史の目撃者的な存在です。
その銀座教文館三階ギャラリーにおいて、8月6日(火)から8月18日(日)まで、「Tomoko Sawada 展」が開催されています。銀座ど真ん中の教文館三階ギャラリーで開催されている切り絵作家の澤田知子(Tomoko Sawada)さんは、全国的に見るなら無名の作家ですが、「Tomoko Sawada 展」で、澤田知子さんの作品を見たなら、この作家がなぜ無名であるのか信じられないほどの素晴らしい作品が展示されています。
この澤田知子さんの作品をプロデュースしているのが、BIGI ART(ビギアート)の代表の MIURA CHIE さんです。澤田知子さんとは、北海道札幌にある厚別福音キリスト教会の教会員でしたが、CHIE さんは澤田知子さんの切り絵作品に接したとき、その切り絵作品の素晴らしさ、クオリティーの高さ、オリジナリティーに感動して、どうしてこの方の作品が世に知られないままでいるのかと不思議に思ったそうです。
Tomoko Sawadaの作品が世に知られない理由の一つに、澤田知子さんのお子様に障害があり、お子様の療育に専念されていたことにあります。そして、39歳の時にイエス・キリストに出会い、療育のかたわら聖書の物語を切り絵で表現するようになります。そして創作された切り絵を描きためて、その作品の一部が「Tomoko Sawada 展」に展示されているのです。
教文館では、澤田知子さんの切り絵作品の素晴らしさとともに、澤田知子さんの作品に惚れ込み、何としてでもこのアーチストの作品を世に出したいというCHIEさん の熱意に動かされ、全国的にほぼ無名のアーチストの作品を一番人が集まりやすい期間に銀座教文館三階ギャラリーでの開催をバックアップしています。全国的には無名の作家の作品の価値を認め、教文館ギャラリーでの開催を後押している銀座・教文館の英断もさすがと思わされますが、これまで埋もれていた素晴らしい切り絵作品が、さらに多くの人に知られ、その活躍の場が広がっていくことを心から願っています。
天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。
天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。高価な真珠を一つ見つけた商人は、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います。
コメント