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カウナスの領事館は今も当時のまま残されている  撮影:S・YAMASHITA

バージョン 2 (2)
ホロコースト博物館記念樹

 イスラエル・エルサレムの新市街には、ホロコースト博物館があります。ナチス・ドイツによって虐殺されたユダヤ人犠牲者を追悼するための施設です。2013年、ホロコースト博物館の展示物はユネスコ記憶遺産に登録されました。

 

 この博物館には、ホロコーストに関して記憶されるべき様々な遺物や証言などが保存されていますが、ホロコースト博物館の敷地の中には、記憶されるべき人々の記念樹も植えられています。そのうちの一本にリトアニア領事館の領事代理としてユダヤ人避難民6000人にビザを発給し、ナチスから救った杉原千畝(すぎはら・ちうね)の記念樹もあります。

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 当時、リトアニア領事館の領事代理であった杉原千畝は、ヨーロッパ各地から逃れてきたユダヤ人難民の窮状を捨て置くことができず、外務省の訓令に反してビザを発給し続けました。

 終戦後ソ連での収容所生活を経て日本に戻って来た杉原千畝は、三ヶ月ほどすると外務省から呼び出され解雇を告げられました。その理由は外務省の訓令に背いてユダヤ人にビザを発給した責任を問われたからです。良心に従って行動した彼の行為に対して、外務省の同僚たちからは、「杉原はユダヤ人に金をもらってやったのだから、金には困らないだろう」という根も葉も噂が流されていました。

 極限状況のなかでとった人道的な行動を称賛されてしかるべきなのに、このような噂まで立てられていることを知った時の悔しさ悲しさはどれほどのものだったでしょうか。



 

 杉原一家の生活はたちまちのうちに困窮し、一家はしばらくは苦難の道を歩むことになります。しかし、リトアニアでの行動が報われたと感じる時がやって来るのです。1968年、ビザを発給してもらったうちの一人、ニシュリがイスラエル大使館の参事官として日本に赴任し、28年ぶりに二人が再会することになります。

 ニシュリが手に握っていたのは、もうボロボロになってしまったあの時のビザでした。このとき杉原千畝は、自分の行為が無駄でなかったことを知り、これまでの苦労が報われたという思いになったといいます。それは、リトアニアのカウナスの駅を離れるときにユダヤ人たちが叫んだ言葉、「私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたに会います」という、民族としての約束を彼らが果たした瞬間でもありました。



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左から幸子夫人と杉原千畝氏 右端が長男の弘樹氏(「六千人の命のビザ」から)

 杉原千畝のビザ発給によって救われた人々が、遂に「センポ・スギハラ」を探し当てたとき、彼が失職覚悟で日本政府の訓令に背いてまでもユダヤ人を救うために、ビザを発給し続けたことを知り、驚くのです。そして1985年、イスラエル政府は、危険を冒してナチスの迫害からユダヤ人を守った非ユダヤ人に対して贈られる「諸国民の中の正義の人」として、杉原千畝にヤド・ヴァシェム賞を贈り、報いを求めないで行ったその働きに感謝したのです 。日本政府によって杉原千畝氏の名誉回復がなされたのは2000年になってからのことです。


  私も杉原千畝氏のお名前とその働きについてはすでに知ってはいましたが、1995年エルサレムにあるホロコースト博物館を訪問し、ガイドから杉原千畝氏の記念樹前で彼の功績に関する説明をお聞きしたときは、人間として、キリスト者として、その良心の声に従って生きた杉原千畝氏の愛と勇気に感動し、涙を禁じ得ませんでした。


「杉原千畝」が「Google」の検索画面トップのロゴマークに1日限定で
杉原千畝

 2019年7月29日、「Google」は、検索画面トップのロゴマークに杉原千畝をあしらった1日限定の記念デザインを採用しました。今回の記念ロゴは、見開きのパスポートに杉原千畝の顔が描かれたデザインで、「Google」の文字の部分がビザのスタンプ風になっています。また人の形が多く描かれ、杉原が出した「命のビザ」で救われた6000人のユダヤ人を表現しています。


             今日聖書」 ヨハネの手紙 第一 3章13〜18節

 

 兄弟たち。世があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛さない者は死のうちにとどまっています。兄弟を憎む者はみな、人殺しです。あなたがたが知っているように、だれでも人を殺す者に、永遠のいのちがとどまることはありません。

 キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょうか。子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。