山下公園
山下公園は関東大震災の瓦礫の上に
「横浜山下公園」といえば、都会のオアシスのような存在です。晴れた日に公園のベンチに座り海を眺めていると都会の喧噪を忘れさせてくれるので多くの人がそこに集うのです。ところが、この山下公園が関東大震災の瓦礫を埋め立てて出来た公園であるということは案外知られていません。
1923年9月1日に相模湾沖を震源として発生したマグニチュード7.9の関東大震災は、神奈川県や東京を中心に甚大な被害をもたらしました。
当初、波止場の一角が大震災の瓦礫の集積場となっていました。その後、関東大震災の復興事業として瓦礫などを使って海を埋め立て、臨海公園にしようということで1925年から工事が始まり、1935年3月15日から開園されたのが山下公園です。1934年には山下公園内で「復興記念横浜大博覧会」が開催されています。
関東大震災は、190万人が被災し10万人以上の死者・行方不明者を出した悲しい記憶です。しかし、その瓦礫によって作られた山下公園が現在、都会のオアシスとなっていることは、イザヤ書の言葉を思い起こさせます。
「荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる」
現在ここを訪れるほとんどの人は、それを知らず、関東大震災の体験も持っていません。現在の山下公園を訪れる利用の仕方を考えると、あえてそのことを知らせる必要がないのかも知れません。
山下公園の良さは、上の写真にあるように、海が見るように並べられてベンチが多いことです。休日はほとんどのベンチが埋まってことが多いのですが、長く滞在するわけではないので、少し待つとここに座ることができます。それと頻繁に花壇が手入れされているので、美しく咲いている花をいつも見ることができるのです。
以前に比べると、湾内の海もかなりきれいになりました。ところどころにゴミが漂っているろこともありますが、水質もそれほど濁ったようには見えません。意外と横浜湾の水はきれいなのです。
田舎から出て来て都会で生活するようになり、時間が経つにつれ、都会の生活に息苦しさを覚えるのは、故郷にあった山や海を見ることができなくなったからだと言われます。ですから、私の場合も海が見える場所に住んでいたので、山下公園に来てベンチに座り、海を見ているだけでいやされる思いがします。
以前に比べると、湾内の海もかなりきれいになりました。ところどころにゴミが漂っているろこともありますが、水質もそれほど濁ったようには見えません。意外と横浜湾の水はきれいなのです。
田舎から出て来て都会で生活するようになり、時間が経つにつれ、都会の生活に息苦しさを覚えるのは、故郷にあった山や海を見ることができなくなったからだと言われます。ですから、私の場合も海が見える場所に住んでいたので、山下公園に来てベンチに座り、海を見ているだけでいやされる思いがします。
横浜山下公園に係留されている氷川丸
「今日の聖書」 イザヤ書 35章1~3節
荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜るので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。
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