時々見るテレビの国会中継で、国権の最高機関である国会の論戦が、議論の内容よりも攻撃的な言葉が飛び交うだけの場になり、議論の仕方を倣いたいと思えるような場にはなっていないことがあります。その原因のひとつに、本来品位を持って語るべきはずの立場の人までもが品位のかけらもないヤジを発し、ユーモアが微塵も感じられない論戦になっていることが多いからです。
私自身がユーモアの大切さを教えられたのは、多くの論客が集まっている大きな会議に出席している時でした。議論が熱を帯び、対立的な空気が議場を支配しはじめた時です。老年の牧師が立って説得力に満ちた意見を出されたのです。その後議長は、同時に挙手をしていたラルフ・カックス宣教師を次の発言者に指名しました。西日本を中心に活躍されていたカックス宣教師は立って、「私の意見は先ほどの意見と同じ意見です。それを少し下手な日本語で言うつもりでした」と発言されたのです。すると議場は爆笑で包まれ、それまでの対立的な空気が一変して和やかになり、会議はスムーズに進んでいったのです。
まじめに激しく議論することは決して悪いことではありません。しかし私たちの日常の生活において、そのまじめさが、ある場合には余裕を失わせ、ぎしぎしした人間関係にさせてしまうことがあります。そんな時、自分を客観化し、ユーモアを用いて議場の空気を変えてしまったあのカックス宣教師のことを、私はいつも思い出すのです。
ラルフ・カックス宣教師の生涯を記した夫人の著書
「今日の聖書」 箴言10章 12~13節
憎しみは争いをひき起こし、愛はすべての罪をおおう。悟りのある者のくちびるには知恵があり、思慮に欠けた者の背には杖がある。
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