もう40年以上も前の話になりますが、勤務先で色々と親切にしてくださった先輩の部屋を訪ねたとき、二階の窓から外を眺めて次のようなことを話してくれました。
かつて、愛する人と一緒になりその部屋で暮らしていたのですが、ふとしたことから喧嘩になり、売りことばに買いことばで、つい「出て行け!」と言ってしまったのです。その言葉に促されるように、彼女は早速荷物をまとめて出て行き、小さくなっていく姿をその窓からじっと見ていたというのです。
結局は「出て行け!」という言葉がきっかけになり、二人の関係は元に戻ることはありませんでした。どうしてあの時、窓から「戻って来て!」と叫ばなかったのか悔やんでいた寂しそうな顔を今でも忘れることができません。
以来、「出て行け!」のフレーズを見聞きすると、いつもその話を思い出して私自身も切ない思いになっていました。ところが、三浦綾子さんの「ナナカマドの街から」を読んでいたら、「ちいろば先生物語」の取材で愛媛県今治に出かけたときにお会いした産婦人科医師ご夫妻の若い頃の夫婦喧嘩のお話が紹介されていました。「出て行け」と言ったのか「出て行く」と言ったのか分かりませんが、とにかく奥さんが出て行くことになりました。
するとご主人が次のように言いました。「お前のものは一つ残らず持って行け!」すると、奥さんも意地になって「これは私のものだから持って行きます」「あれも私のものだから持って行きます」と荷物をまとめ始めたのです。その様子をじっと見つめていたご主人が次に発した言葉は、「おい、俺もお前のものだから、俺も持って行け!」でした。このお話を聞いた三浦綾子さんは、「涙の出るほど感動した」そうです。
取り返しのつかない「出て行け!」の言葉の後に、そういう「起死回生」のすばらしい言葉があったとは‥‥
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、
不正を喜ばずに、真理を喜びます。
すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。
私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、
完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。