いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ5章16〜18節

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 もう40年以上も前の話になりますが、勤務先で色々と親切にしてくださった先輩の部屋を訪ねたとき、二階の窓から外を眺めて次のようなことを話してくれました。

 かつて、愛する人と一緒になりその部屋で暮らしていたのですが、ふとしたことから喧嘩になり、売りことばに買いことばで、つい「出て行け!」と言ってしまったのです。その言葉に促されるように、彼女は早速荷物をまとめて出て行き、小さくなっていく姿をその窓からじっと見ていたというのです。

 結局は「出て行け!」という言葉がきっかけになり、二人の関係は元に戻ることはありませんでした。どうしてあの時、窓から「戻って来て!」と叫ばなかったのか悔やんでいた寂しそうな顔を今でも忘れることができません。
 

 以来、「出て行け!」のフレーズを見聞きすると、いつもその話を思い出して私自身も切ない思いになっていました。ところが、三浦綾子さんの「ナナカマドの街から」を読んでいたら、「ちいろば先生物語」の取材で愛媛県今治に出かけたときにお会いした産婦人科医師ご夫妻の若い頃の夫婦喧嘩のお話が紹介されていました。「出て行け」と言ったのか「出て行く」と言ったのか分かりませんが、とにかく奥さんが出て行くことになりました。



 
 するとご主人が次のように言いました。「お前のものは一つ残らず持って行け!」すると、奥さんも意地になって「これは私のものだから持って行きます」「あれも私のものだから持って行きます」と荷物をまとめ始めたのです。その様子をじっと見つめていたご主人が次に発した言葉は、「おい、俺もお前のものだから、俺も持って行け!」でした。このお話を聞いた三浦綾子さんは、「涙の出るほど感動した」そうです。

 
 取り返しのつかない「出て行け!」の言葉の後に、そういう「起死回生」のすばらしい言葉があったとは‥‥


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  「今日の聖書」 Ⅰコリント13章4〜9節


 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
 愛は自慢せず、高慢になりません。

 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、

  不正を喜ばずに、真理を喜びます。

 すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。

 愛は決して絶えることがありません。
 預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。

 私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、
 完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。 

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 現在、「ハーフ」とか「クォーター」といえば、両親や祖父母のいずれからが外国人であり、日本人離れした魅力をもった方のことをさして言われることが多いようです。しかしNHK朝の連続ドラマ「マッサン」のドラマの中でもあったように、外国人の血が流れているというだけで石を投げられたという大変な時代がありました。

 

 作家の三浦綾子さんは、その著書のひとつで旭川六条教会の牧師であった芳賀先生の子ども時代のことを記されています。当時、日本は軍国主義の時代で、人々は外国人を見ると「鬼畜米英」と目の敵にし、芳賀先生も「クォーター」であったため、外を歩くと、「アメリカ人だ、イギリス人だ」ということでいじめられ、毎日、今日は死にたい、今日は死にたいと思っていたそうです。

 

 ある日、なるべくいじめっこの出ない道を帰ろうとして歩いているときに、小学校四年くらいの生徒がワッーと一団になって集まってきて、芳賀少年をつき転ばし殴り始めというのです。その時、同じ世代の男の子が通って、「お前たち、それでも人間か」といじめていた少年たちをたしなめたのです。すると子供たちは、「だってこいつはアメリカ人ではないか」「イギリス人ではないか」「敵国人だからかまわない」と口々にその少年に向かって言い始めました。


 しかしその少年は「アメリカ人であろうと、日本人であろうと、朝鮮人であろうと、支那人であろうと、人間であることに変わりはない」と言うと、皆がシュンとしてしまいました。学校では仲間から尊敬されていた子どものようでした。

 そしていじめていた一人の男に子に、「俺の家に行って机の上に本が三冊あるから、それをすぐに持って来い」と命令しました。言われた子どもは当時人気のあった「冒険ダン吉」、「のらくろ」と、もう一冊のマンガの本を持って来ました。そしてその本をいじめられていた芳賀少年に差し出して「これをおまえにやるからな、がんばれな」と励ます 別れ際に「俺な、日曜学校に行っているんだ」と去って行ったのです。

 

 芳賀少年はその後、助けてくれた少年とはとうとう一度も会うことは出来なかったそうです。しかしこの出来事は芳賀少年のその後の生涯を左右しました。「俺な、日曜学校に行っているんだ」という言葉がヒントになり、その後教会に通うようになり、クリスチャンになり、牧師になったというのです。



「今日の聖書」ガラテヤ人への手紙 3章26~28節

 

あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。 キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。 ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。

 

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独立学園の書道の高校教師 桝本楳子先生
 

 百歳の高校教師「うめ子先生」は日本テレビ系列でで1984年から10年にわたって放送された人気ドキュメンタリーです。山形県小国町にある基督教独立学園高校で59才から100才まで書道教師をされていた桝本楳子(ますもと・うめこ)さんの生き方を追ったこの放送は大きな反響を呼び、多くの人に感動をもたらしました。


 


 「うめ子先生」の担当ディレクターとして10年以上も追い続けた佐々木征夫氏はその取材記録を「うめ子先生 100歳の高校教師」(日本テレビ放送網株式会社刊)という本にまとめ出版しました。映画監督の山田洋次氏は「こんな美しい日本人がいる、ということを、ぼくたちは誇りに思う」という推薦文をこの本に寄せています。

 


 佐々木征夫氏のドキュメンタリー 「うめ子先生 100歳の高校教師」は、うめ子先生のそれほど大きな変化のない日常生活を淡々と追っているように見えますが、氏の手がけたこの作品は、文化庁芸術祭賞、ドキュメンタリーの国際的な賞であるサンフランシスコ・ゴールデンゲート賞、民放祭賞、ギャラクシー賞等を受賞しています。ちなみに、NHK紅白歌合戦にも出演し話題を呼んだ沖縄県出身のテノール歌手・新垣勉さんが世に知られるきっかけとなったのも佐々木征夫氏の制作したドキュメンタリー番組です。

 

 「うめ子先生 100歳の高校教師」のドキュメンタリーから伝わって来るものは、「何をするか(What I doということ以上に、何であるか(What I am」ということのほうが、いかに生徒の心に深く刻まれていくかということです。私たちはその人の人生をはかるときに、つい「何をしたか」ということに関心が行きがちですが、実は「何であるか」ということのほうがもっと重要だといことを教えらてくれたドキュメンタリーでした。

 


コリント人への手紙第二 6章8~10節

 

 また、ほめられたりそしられたり、悪評を受けたり好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られていないようでも、よく知られており、死にかけているようでも、見よ、生きており、懲らしめられているようでも、殺されておらず、 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。



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最上のわざ

楽しい心で、年をとり
働きたいけれど休み しゃべりたいけれど黙り

失望しそうなときに希望し
従順に平静におのれの十字架をになう

 

若者が元気一杯で神の道を歩むのを見てもねたまず

人のために働くよりも 謙虚に人の世話になり

弱って、もはや人のために役立たずとも親切で柔和であること

老いの重荷は神の賜物

古びた心にこれで最後のみがきをかける

まことのふるさとへ行くためにおのれをこの世につなぐ鎖を

少しずつ外していくのは真にえらい仕事

こうして何も出来なくなればそれを謙虚に承諾するのだ

 

神は最後に一番よい仕事を残して下さる それは祈りだ

手は何も出来ないけれど最後まで合掌できる

愛するすべての人の上に神の恵みを求めるために 

すべてをなし終えたら臨終の床に神の声をきくだろう

来たれ、わが友よわれ、汝を見捨てじと

 

(ヘルマン・ホイヴェルス随筆集「人生の秋に」より)

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