いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ5章16〜18節

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 英連邦戦死者墓地」
Yokohama War Cemetery

 横浜永谷キリスト教会に赴任して間も無くの頃、教会から車で10分ほどの距離にエリザベス女王やダイアナ元妃も墓参したという「英連邦戦死者墓地Yokohama War Cemetery」があることを教えていただきました。すぐそばにバラ園もあり、近隣の方々がよく訪れている写真撮影スポットでもあるということなので、一度訪れてみたいと思っておりましたが、昨日ついにここを訪れることができました。

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 場所は、箱根マラソンで有名な国道一号「団子坂」に近く、バス停「児童遊園地入口」から歩いて10分ほどの距離にあります。1946年に保土ヶ谷児童遊園地・保土ヶ谷錬成場が接収され作られたということもあり、現在も横浜市の児童遊園地やバラ園のあるこども植物園が隣接しています。

 「英連邦墓地」とあるのは、この墓地が設置された1955年当時のイギリス連邦諸国(イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国、インド、パキスタン)の戦死者1,500基以上の墓碑が建立されているからです。英連邦では、「戦死者の遺体は本国に送還せず、階級差なく現地で埋葬する」という原則があり、この方針のもとに「英連邦戦死者墓地委員会」が設置され、世界中にある英連邦戦死者の墓地を管理しています。保土ヶ谷にある「英連邦戦死者墓地」もその一つであるということになります。

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 ただ、「戦死者」となってはいても、ここに葬られている方々は戦いの中でなくなったというより、日本軍の捕虜となった兵士や女性たちが労働力として日本に連行され、鉱山や造船所、農業や軍需製品の様々な産業で働かされた人々がほとんどです。その収容所の劣悪な環境の中で捕虜という身分のままで何千人もの人々が亡くなったのです。入口を入ってすぐの場所にある英語と日本語で書かれている「
英連邦戦死者墓地」の説明文にはこのことも記されており、これを読んだ時には心が痛みました。

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 この墓地にはヨハネの福音書11章の主イエスの「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」というみことばが記され、「あなたの御手に彼の霊をゆだねます」という家族の祈りのことばが添えられていました。

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隣接する植物園に咲いていたバラが美しかった




今日の聖書』 イザヤ書 2章2〜4節

終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、
もろもろの丘より高くそびえ立つ。

そこにすべての国々が流れて来る。多くの民族が来て言う。

「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。
主はご自分の道を私たちに教えてくださる。

私たちはその道筋を進もう。」

それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。

主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。

彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。

国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

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平戸永谷川の河津桜

 横浜永谷キリスト教会の会堂の横を流れているのは「平戸永谷川」です。この川沿いの道路は、「平戸永谷川プロムナード」と名付けられ、多くの方々の散歩コースになっています。特に愛犬をともなって散歩をしている方々が大勢おられ、同じ時間に散歩をされているせいか、顔見知りになって愛犬ともどもに会話をしている様子をしばしば見かけます。

 ところが、桜が開花し始めた頃は、単独で散歩する方々を多く見かけ、スマホを片手にしてプロムナード沿いの河津桜を撮影している方が多くおられました。特に満開になった3月5日前後は、お天気が良かったせいか、大勢の方々がスマホで満開の桜を撮影していました。

 河津桜はソメイヨシノに比べると色が濃いので、満開になるとプロムナードが華やかに彩られているという印象を受けます。まるで美しいモデルのように、カメラマンにその華やかな表情を見せつけています。

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 平戸永谷川の「河津桜」背景は横浜永谷キリスト教会
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平戸永谷川の「河津桜」
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平戸永谷川の「河津桜」

『今日の聖書』 雅歌 2章11~13節

  ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。

  地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、

  山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。

  いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は花をつけて香りを放つ。

  わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで。

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山下公園
 

山下公園は関東大震災の瓦礫の上に

 
 「横浜山下公園」といえば、都会のオアシスのような存在です。晴れた日に公園のベンチに座り海を眺めていると都会の喧噪を忘れさせてくれるので多くの人がそこに集うのです。ところが、この山下公園が関東大震災の瓦礫を埋め立てて出来た公園であるということは案外知られていません。


 1923年9月1日に相模湾沖を震源として発生したマグニチュード7.9の関東大震災は、神奈川県や東京を中心に甚大な被害をもたらしました。

 当初、波止場の一角が大震災の瓦礫の集積場となっていました。その後、関東大震災の復興事業として瓦礫などを使って海を埋め立て、臨海公園にしようということで1925年から工事が始まり、1935年3月15日から開園されたのが山下公園です。1934年には山下公園内で「復興記念横浜大博覧会」が開催されています。

 関東大震災は、190万人が被災し10万人以上の死者・行方不明者を出した悲しい記憶です。しかし、その瓦礫によって作られた山下公園が現在、都会のオアシスとなっていることは、イザヤ書の言葉を思い起こさせます。

  「荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる

 現在ここを訪れるほとんどの人は、それを知らず、
関東大震災の体験も持っていません。現在の山下公園を訪れる利用の仕方を考えると、あえてそのことを知らせる必要がないのかも知れません。

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 山下公園の良さは、上の写真にあるように、海が見るように並べられてベンチが多いことです。休日はほとんどのベンチが埋まってことが多いのですが、長く滞在するわけではないので、少し待つとここに座ることができます。それと頻繁に花壇が手入れされているので、美しく咲いている花をいつも見ることができるのです。

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 以前に比べると、湾内の海もかなりきれいになりました。ところどころにゴミが漂っているろこともありますが、水質もそれほど濁ったようには見えません。意外と横浜湾の水はきれいなのです。

 田舎から出て来て都会で生活するようになり、時間が経つにつれ、都会の生活に息苦しさを覚えるのは、故郷にあった山や海を見ることができなくなったからだと言われます。ですから、私の場合も海が見える場所に住んでいたので、山下公園に来てベンチに座り、海を見ているだけでいやされる思いがします。

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横浜山下公園に係留されている氷川丸

今日の聖書」 イザヤ書 35章1~3節

 荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜るので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。

あじさいの庭完成予想図

目指せ!「紫陽花いっぱいの庭」

 紫陽花が植えられた横浜永谷キリスト教会の写真ですが、この写真は紫陽花がいっぱいの庭を目指している横浜永谷キリスト教会の花壇「完成予想写真」です。もちろんPhotoshopによる加工写真です。

 横浜永谷キリスト教会は毎年6月になると、地域の方々を教会にお招きする「紫陽花オープンチャーチ」を行なっていました。開拓期に奉仕したドイツ人宣教師の発案で、日本のじめじめした梅雨の季節に楽しいイベントを教会で行いたいということで始まったイベントです。

 私が横浜永谷キリスト教会の牧師として招かれる際に、横浜永谷キリスト教会の方々は教会名を「あじさい教会」にしたいぐらい紫陽花が好きな人が多い聞かされました。そこで、「紫陽花」の花言葉を調べてみると、土壌によって色が変わることから「移り気」、ピンクの紫陽花は「元気な女性」、青色の紫陽花は「辛抱強い愛」などとありまし。しかし、教会としていちばんぴったりだったのは、小さな花びらが集まっている様子から「家族の団らん」という花言葉です。

 聖書には教会は「神の家族」(エペソ2章19節)にたとえられています。ユダヤ人も異邦人もなく、教会は「神の家族」であるというのは、すばらいことです。しかも国籍は天国です。
「家族の団らん」は、教会の兄弟姉妹が神の家族として愛し合うこと様子を言い表している花言葉です。

 そういうわけで、地域の方々に神の家族に加わっていただきたいという願いを込めて、教会の庭を紫陽花でいっぱいにしようということになり、今年の4月、ばらばらに植えられていた紫陽花を道路側に一列に植え替え、新しい紫陽花の苗も加えした。

 5月末に早咲きの紫陽花が咲き始めましたが、少し年月がかかるようで、どうも完成予想写真のようには現在なっていません。しかし、美しく咲き始めた紫陽花を見て、兄弟姉妹は喜び、さらなる開花を待ち望んでいます。

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2022年5月26日現在の教会の庭 美しく咲いている
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これから開花するのが期待されている紫陽花
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大きくなるまでは時間がかかりそうな紫陽花
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4月に植え替えた時の庭

「今日の聖書」 エペソ2章14~19節

 実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。

 また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。

 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。

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横浜公園はチューリップでいっぱい

 横浜スタジアムの敷地内にある横浜公園(横浜市中区)は、12万本のチューリップの花が今咲き誇っています。このブログにあるチューリップは4月5日撮影したものですが、4月8日からは、「第44回よこはま花と緑のスプリングフェア2022」が開催されるとのこと。一足先に写真をアップしました。

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『今日の聖書』 雅歌 2章11~13節

  ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。

  地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、

  山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。

  いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は花をつけて香りを放つ。

  わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで。

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弘前公園のマンサクの花が咲いたニュース

 3月12日、弘前公園北の廓にあるマンサクの花が開花したというニュースが東奥日報の電子版に掲載されていました。昨年の開花日は、3月7日でしたから、今年は5日遅く咲いたことになります。近年、温暖化の影響で開花日が早まる傾向があったので、マンサクの開花日が平均開花日に近づいたということになります。

 弘前公園のマンサクの開花日がニュースになるのは、このマンサクのそばに、ソメイヨシノの標準木があるからです。毎年、マンサクが咲いた約40日後に標準木のソメイヨシノが開花することが弘前市民には知られています。これで行くと、今年の年の開花予想日は4月19日になります。弘前公園発表の2022年開花予想日は4月18日ですから、ほぼマンサクの開花日から約40日後になるわけです

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 このブログにアップされているマンサクは、弘前公園北の廓に植えられているそのマンサクの木で、私が撮影したものです。弘前に住んでいたとき、毎朝のように弘前公園までウォーキングしていた私は、この時期はいつもマンサクの開花が気になっていました。この写真は、報道があった日の夜に弘前公園北の廓に入って撮影したと記憶しています。

 私がマンサクの開花日とソメイヨシノの開花予想が関連づけて報道されることに注目しているもう一つの理由があります。新約聖書を読んだ方であるならば、気づいていることなのですが、イエス・キリストの公生涯を記している福音書の記事は、バプテスマのヨハネの活動から始まっていることです。

 旧約聖書イザヤ書の預言を引用し、荒野に現れたバプテスマのヨハネが「私よりも力のある方が私の後に来られます」と、キリストの到来を宣べ伝えはじめるのです。引用されたイザヤ書の預言は以下のようになっています。

 「見よ。わたしは、わたしの使いをあなたの目に遣わす。

  彼はあなたの道を整える。

  荒野で叫ぶ者の声がする。

 『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ』

  (マルコの福音書1章2~3節)

 教会暦では、今はキリストの受難を覚えるレント(受難節)です。レントは「灰の水曜日」から日曜日を除く、キリストの復活を記念するイースターまでの40日間の季節をいいます。この期間、世界中のクリスチャンは、私たちの救いのために苦しみを受けられたイエス・キリストの苦難と神の愛を覚えるときとして過ごします。

 マンサクの開花とソメイヨシノの開花が毎年関連づけられているように、私はバプテスマのヨハネの出現とイエス・キリストの公生涯が結びつけられていることと毎年のように思い起こしてこの季節を過ごしています。(岩松康宣)

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『今日の聖書』 ヨハネの福音書 1章14~16節

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とばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。


 ヨハネはこの方について証しして、こう叫んだ。「『私の後に来られる方は、私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」


 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。

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教会の庭の梅が咲きました

 横浜永谷キリスト教会の庭にある梅の木は、ここに会堂が建つ前から植わっていたものです。昨年七月、私が牧師として赴任してきた時にはすでに梅の季節が終わっていたため、梅の花を見ることはできませんでした。しかし、今朝教会に来た時には梅の花が枝という枝に綺麗に咲き誇っていました。

 これまでは教会の庭にある梅の木は、老木で枯れ木のような存在でしたので、これほど見事に梅の花が咲き誇ることは想像できませんでした。そこで早速カメラを持ち出し撮影したのが、今回アップした写真です。


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 ふと、弘前に住んでいたときに見た弘前公園の桜の木を思い出しました。一般的に、ソメイヨシノは樹齢が60年ほどであると見なされていますが、弘前公園の桜は樹齢百年を超えるものも三百本以上も植えられています。ほとんどが老木なのですが、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも取り上げられたことがある弘前公園の樹木医であった小林勝さんは、「老木こそ美しい」というコンセプトのもとに桜を手入れをし、毎年見事な桜の花を咲かせていました。

 私は、「老木なのに美しい」ではなく、「老木こそ美しい」という小林勝さんの言葉が大好きです。
枯れ木にも見える古木が、毎年春になると美しい花を咲かせると、若い木の枝に咲く花とは違う、別の美しさを感じさせるからです。横浜永谷キリスト教会の庭に植えられている老木の梅の木も、これからも美しい花びらを咲かせ続けてほしいと願っています。

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横浜永谷キリスト教会の庭に咲いた梅の花

「今日の聖書」雅歌 2章11〜12節


ご覧、冬は去り、 雨も過ぎて行ったから。

地には花が咲き乱れ、 刈り入れの季節がやって来て、 山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。


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弘前大学名誉教授 河西達夫先生

人間のいのちの尊厳を知らなくては
良い医者になれない

 弘前大学名誉教授の河西達夫先生は、弘前大学医学部の教授として千体以上の解剖に立ち会い、学生に解剖学を教えてこられた方です。数年前に出版された「解剖学実習アトラス」は全国の医学部の解剖学教科書として用いられています。人体の臓器の精密なイラストは、まるで本職のイラストレーターが描いたかのような仕上がりになっていますが、お聞きすると河西先生ご自身が描かれたものとのことです。

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 以前、弘前福音キリスト教会で、「献体について考える」というテーマでお話していただきました。解剖を行うとき学生たちに特に指導したことは、「人間のいのちの尊厳を知らなくては  良い医者になれない」ということです。「動物ではなく人体を解剖することで、生命の尊厳を知り、医師としての責任感が身につくというのです。そのために、人体の取り扱いには非常に厳しかったといいます。

 河西達夫先生と恵子夫人は熱心なクリスチャンですが、新婚の頃、解剖の実習を終えて戻ってこられた夫の解剖着を洗濯するのが喜びだったと話されていました。普通の女性であったならば、あまり喜びとは感じないはずの解剖着の洗濯を、大きな喜びと感じているところに、献体をされた方々への感謝と夫の仕事への深い理解があったことを覚え大変感動しました。 

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イラストも河西先生によるもの

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河西達夫先生と恵子夫人 (青森県「鶴の舞橋」)


 
「今日の聖書」 詩篇139篇13~16節


 それはあなたが私の内臓を造り、

 母の胎のうちで私を組み立てられたからです。 

 私は感謝します。

 あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。

 私のたましいは、それをよく知っています。

 私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、

 私の骨組みはあなたに隠れていませんでした。

 あなたの目は胎児の私を見られ、

 あなたの書物にすべてが書き記されました。
 わたしのために 
作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。


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「クリスマス・ツリー」の起源

 アドベントの季節が近づくと大きなモールなどに「クリスマス・ツリー」が飾られ、人々の目を楽しませます。しかし、クリスマス・ツリーそのものは、起源からいえばクリスマスとは無関係で、古代ゲルマン民族の当時の祭りである「ユール」の飾られていた「樫の木」であるとされています。

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 そして、ドイツ民族がキリスト教に改宗した時期に、これまで祝っていた「ユール」の祭りでで用いられいた樫の木を同じ常緑樹の「モミの木」に変え、新たなキリスト教的な意味付けをして飾られたのが「クリスマス・ツリー」です。

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 まず、もみの木のてっぺんには、博士たちを導いた「ベツレヘムの星」が飾られ、横から見ると三角形なので父なる神・子なるキリスト・聖霊なる神の「三位一体(さんみいったい)」を表すとされています。また、クリスマカラーの「赤」は、キリストの十字架の上で流された血から「愛」を表し、「緑」は「永遠のいのち」、白はキリストの血潮によって罪がきよめられた「純潔」を意味するとされています。これは玄関などに飾られるリースに用いられる際の色の意味も同じです。

 

 写真は、横浜みなとみらい地区に飾られている「「クリスマス・ツリー」で、「Tha Landmark Christmas」として飾らています。

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「今日の聖書」ヨハネの福音書1章9〜14節


 すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

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モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー

彫刻家は、物の形に、詩人は言葉に、音楽家は音に魅せられた人である。」(ジョアン・ミロ)

 ジョアン・ミロはスペインのカタロニア出身で、大阪万博にも出品したことがある画家です。ジョアン・ミロと同じくカタロニア出身の芸術家には、「サグラダ・ファミリア」で知られているアントニ・ガウディやダリがいます。いずれもその作品はユニークで、作者の個性を感じさせる印象的なものです。

 横浜みなとみらい地区のランドマークタワーのそばにある、この写真のモニュメントもユニークさと印象的な点では負けてはいません。「みなとみらいは地区」は、休みの日にはたびた訪れ場所ですが、カメラをもっているとつい撮影したくなるモニュメントです。背景にあるランドマークタワーを入れて撮影すると、かなり表情の違った写真になるので、同じモチーフで何度か撮影いたしました。

 このモニュメントは、元武蔵野美術大学教授で彫刻家の最上壽之(もがみ ひさゆき)氏の作品です。そして作品名もユニークです。

  モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー

 この「モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー」に関しては、芸術的な役割だけではなく、高層ビルの間を吹き抜ける風の威力を1-2割弱めるという実際的な役割もあるとのことです。

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「今日の聖書」 ヨブ記14章15節

 あなたが呼んでくだされば、私は答えます。あなたはご自分の手で造られたものを慕っておられるでしょう。 

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